ルモンドふじがやシェフのエッセイ

趣味や日々のつれづれを題材にしたエッセイ

神秘的な感動

 

川面に映える月の明かり

 “蛍を見る散策の会”が、6月12日、笹間川上流のほたる橋、周辺でありました。なんと、なんと、お月さんの明かりが、十五夜の月を凌ぐような明るさで川面を照らし、写真のような光景をみせた。神秘的で、思わず、わぁーという大きな声が出るほどの”幻想的”感動でした。

蛍は、数匹、飛び交う姿を見せてくれましたが、月の光で相当“ご損”をしたと思います。このような豊かな自然環境が守られていなければ、とても、この美しい光景に出会えなかったと、つくづく思いました。懐中電灯で足元をてらして、優しく連れて行ってくれた方に感謝。この幸運にありがとう。感謝。

 

花庄屋(大鐘家)のあじさい

 静岡県牧之原市片浜にある、「大鐘家」(おおがねけ)=国定重要文化財・花庄屋=に、あじさい(紫陽花)の花を見に行きました。6月12日(日曜日)小雨がぱらつく花曇りの昼下がりでした。あじさいには、太陽がさんさんと、照りつける日よりも、こんな天気の方が、嬉しそうにしているようで、私には美しくきれいで「味のある花」に見えました。あじさいには、小雨や、花曇りの日がよく似合うと思う。

純白の色のあじさいは、”無”・・・ ストレスを洗い流すには、いい。

 あじさいの色合いでは、一番合っていると思います。

長屋門  後方 大鐘家母屋

     

あまり見たことのない品種のあじさい?

   さるすべりの木の合間に映えるピンク色のあじさい

   新品種? 

   新品種?  

 

猿も木から落ちる

f:id:lemonde_fujigaya:20220315110519p:plain

材木はこびの鉄線を使った猿の大移動

f:id:lemonde_fujigaya:20220315110922p:plain

猿軍団移動中

f:id:lemonde_fujigaya:20220315111025p:plain

子ザルが遊びだしてる

f:id:lemonde_fujigaya:20220315111052p:plain

子猿が落ちる寸前

f:id:lemonde_fujigaya:20220315111115p:plain

1匹落下

f:id:lemonde_fujigaya:20220315111139p:plain

落下して水しぶきを上げる

f:id:lemonde_fujigaya:20220315111204p:plain

けが無く向への山へ移動

f:id:lemonde_fujigaya:20220315111250p:plain

2匹目落下と眺める1匹目の子猿

 安倍川上流の中河内・落合(元、安倍郡玉川村)に流れる安倍川で、家族と一緒にアユ釣りをしていた時のことでした。(2021年8月の夏休み)。森林業の方が、材木を運び出すために張った2本の鉄線上に、私たちの目前で、左側の山側から大きい猿が1匹あらわれ渡り始めると、2匹、3匹と続き大移動が始まる。16匹は数えました。一団の大猿が、右側の山に到達するころ、突然、奥山特有の夕立がザーザーッと降りだした。余裕をもっていったり来たりして遊んでいた子ザルが、手を滑らしたらしく川におちた。間をおいて2匹目が落下。幸い川が浅かったので、水がクッションになったらしく、2匹ともけがを負わなかった。河原を一目散に走って仲間のいる山の方へ駆け上がっていきました。人間では、あの高さから落ちれば、命にかかわるほどの事故だったと思う。なお、この写真を見てくれた友達(笹間で、お茶や椎茸の原木栽培などのプロ)の話だと、猿は自分の子供が死んだりすると、抱きかかえて自分の住処に連れていくそうです。そうだとすると、2度めに落ちた猿は、その母親猿ではないかとするのが自然と思う。落ちたのではなく、パニックになっている子供を助けに行くために、自分の命をはって、飛び降りたのが本当だと思います。子供を思う親の愛情は、厚く、強くすごい。

ハプニングの後、さをは、すぐにおさめました。その日は1匹も釣れなかった・・・。しかし、この光景にはビックリ、そこで並んで釣りをしていた3人の感動は大きかった。"元気"をもらいました。気分は、晴ればれ、いい思い出の宝物となりました。

 なお、この写真の動画は、第一テレビに投稿、放映されました。撮影者は、私の孫の大知郎でした。この特ダネ写真を撮った時の彼は大学生でした。現在は社会人となり、メデイアの第一線でがんばっています。

動画はこちらをご覧ください。

 

https://www.facebook.com/%E3%83%AB%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%81%B5%E3%81%98%E3%81%8C%E3%82%

84-1468191140073710

狩野川上流・大見川の想い出の友釣り

  

f:id:lemonde_fujigaya:20220208190402j:plain

中伊豆病院下の大見川

 鮎の友釣りの愛好者にとっては、2月になると、もう解禁日の6月1日(一般的)が待ち遠おしく、うきうきした気分になってきます。

  狩野川の友釣りは数年前までは、よっぽど腕のいい人でないと、なかなか“スカット”する釣りが出来ない。多勢の“釣り天狗”たちからは、むずかしい(奥深い)川の一つとみられている。

 東京や、神奈川県、静岡などから友釣りの本当に好きな釣り師たちがやってきて、大仁公園前あたりや、修善寺橋、上、下流あたりの“川原”は釣り銀座ともいわれ、好天気、濁りのないなどの条件がととのえば、土曜、日曜日などは大勢の釣り天狗仲間サンたちで、解禁日はお祭りのように賑わっていた。

 

 ところが最近は、めっぽう、様変わりだ。修善寺の“三田釣具・おとり店”店主の話だと、川原に釣り人を探すのが大変、ちらほら、ぽつぽつ・・・だそうです。

“釣り天狗“たちは、上流へ移動、その釣り人の数は、ものすごく減っているそうです。

下流が釣れなくなった、その理由は、わからないと言っています。

 

 この上流の大見川で8月(夏休み)の思い出の話です。今より数十年前、僕が、40代のころ、母が脳血栓でたおれ、リハビリのため、中伊豆温泉病院(大見川中流の小川橋のたもと)に入院していました。お見舞いのため、静岡から車を走らせ(約2時間)、見舞わった帰り、橋(小川橋)のたもとから、それとなく川をのぞくと、魚が一瞬白い腹を、きらつかせ、鮎が藻をはんでいるのではないかとおもえる光景。釣り人はだれもいないし、これはいけるぞっとばかり。大釣りのチャンスだ!

 次の週、友釣り道具一式を車に積みこんで、東名高速、沼津経由、修善寺、“現場”へとまっしぐら。足場のいい所を探してさっそく竿を出した。おとり鮎を、大石の脇に入れると、いきなりガーンときた。おとり鮎が下流にもっていかれ、竿がしなるしなる、折れんばかりに。よみ、すべて的中、ドキドキ心臓がなる。一匹目は、ばれる(身切れ?)ガックリ。おとり交換して次を狙う。またばれる。流れが強い、魚も大きい、3回目の当たりは竿を立て、集中して慎重に、ゆっくりゆっくりと淀みを探しながら、やっとタモの中へ落とし込んだ。20センチをゆうに超える大物。しゃがみこんで、ビシャビシャ、膝ガクガク、安堵と喜びが、どっと押し寄せて・・・。 

 

f:id:lemonde_fujigaya:20220208192015j:plain
f:id:lemonde_fujigaya:20220208190550j:plain
縄張りの大石             荒瀬のポイント

 見舞いを兼ねながらの釣行、十数匹の“戦果”をあげ、その日の帰り際、釣った鮎を入院していた母に見せると、「調理場に頼んで、塩焼きにして食べたい。」というので、渡して帰りました。「美味しかったよ。」という話を後で聞きました。

 当時の中伊豆リハビリテーションセンター調理場の皆さんには、大変お手数をお掛けしたと思いますが、本人は大変喜んでおりました。遅ればせながら、紙面を借りて私からも厚く御礼申し上げさせていただきたいと思います。

毎週のように大見川へ行き、友釣りを楽しませていただきましたが、誰からどう伝わったか、この場所が釣れるということで、大勢の釣り人が押し寄せ、大変賑わうようになった。釣り会の競技会が、開かれる事もあった。

それから、しばらくして、一日竿を出しても、一匹も釣れない”ぼうず”の日が、何度か続きました。なぜなんだろう?どうしてなんだろう?釣れなくなった川には、午後三時頃になると、ほとんどの釣り人がいなくなりました。私は、木陰を探して昼寝をしていましたが、えん堤の淵から下のザラセに最後の一投とばかり、竿を出してみた。

入れれば掛かり。また掛かり。手返しで大わらわ。生かしの中が、魚でいっぱい。生かし船もいっぱい。夕暮れで、薄暗くなってきたので終わりにしましたが、こんなの初めての経験。本当にびっくり。何故なんだと考えました。・・・。

鮎は、警戒心が強い魚なので、真昼間、大勢の釣り人の影や、足音でおびえ、えん堤の淵の中に逃げこみ、静かになった夕方、浅いザラ瀬(小石でチャラ、チャラした流れの瀬)にお腹をすかせていた鮎さんが、どっと出て来たといゆうわけ。、結果的に待ったことが大漁の幸運につながった。

我慢して待つことのたいせつさを、この釣りから教えられた。いないところを、いくら竿をだしてみても反応ありません。商売も似ているところが多いなあーと、つくづく感じます。

 

 私の母は大正の生まれでした。84歳で亡くなりました。大変気丈な人でした。小さな運送店をしていましたが、口下手な父をしり目に、単独で名古屋陸運局(当時は運輸省)にのりこみ、運送業の本免許(法人)を取ってきたという、"おんなさむらい"、と言うエピソードの持ち主でした。料理の腕前もよく、味はもちろん盛り付け上手だった。おせち料理がうまかったので、正月はよく、人が集まって長居する人が多い家でありました。私の料理の原点は、母の料理にあると思っています。母は、料理の習得は戦時中、お屋敷の家へ奉公に出され、お手伝いをしながら覚えたといっていました。            話しがやや横道にそれてしまいましたが、”中伊豆病院下の大見川の友釣り”は、私にとっては、いろいろな意味で、自然から学ぶ大変良い勉強の場となりました。楽しい”1級品の思い出”となりました。感謝・・・・・。

f:id:lemonde_fujigaya:20220208192150j:plain
f:id:lemonde_fujigaya:20220208191118j:plain
中伊豆病院                 小川橋

       ※写真は、令和3年に撮影したものです。水量は、通常は半分位です。

 

 

新春凧あげ

                                                   

                                             

安倍川河川敷の公園で、駿河凧をあげた。店の仲間と一緒になって、すっかり子ども心に返り、大声をだし連携プレーよろしく、風の弱い中、やっとあげた。小学生のころ、竹ひごで作った手づくりの凧をあげて遊んだ時のことを思い出しながら。風がないと凧はあがってくれない。風をよんで、揚げれるチャンスの時を待つのが、大変むずかしかった・・・。

 

駿河凧は、今川義元公(西暦1519年~1560年)が戦勝祝いに家臣に命じて揚げたのが始まりと伝えられています。江戸時代の人々が愛した芝居や物語に出てくる武者絵・歌舞伎絵などが、顔中心に大きく描いた凧絵です。=公式 静岡のおすすめ観光スポット=参考。揚げた凧は、「凧八」さん製造。(江戸時代末期から5代にわたり、昔ながらの工法で駿河凧を作っている専門店。)

 

 今、なんで凧をあげる気持ちになったのかと、この文章を読まれた方は思われるでしょうが、私は、大空に向かって、タコ糸をにぎり、空、高くあげてスカッと感動を味わいたかった。新型コロナを吹っ飛ばしたかったです。

 

 次の日、筋肉痛で身体が、少し重かったけれども、気分は、晴ればれ、いい気分転換になって、仕事への士気がずいぶんと上がりました。仲間の綾ちゃんは、はじめての体験で、しどろもどろ・・・。「いい経験をしました、楽しかった。」と言ってくれています。

シェフは、写真撮影で向こうへ走ったり、こっちにトンデきたり、結構楽しんでいました。今度は、凧を自分で作って揚げたいと言っています。

楽しみにしています。

                                                                             by ・ スーシェフ   黒田 弥栄子

f:id:lemonde_fujigaya:20220130170946j:plain

空高く揚がる駿河

f:id:lemonde_fujigaya:20220130170829j:plain

 

 

f:id:lemonde_fujigaya:20220130171948j:plain
f:id:lemonde_fujigaya:20220130171159j:plain



f:id:lemonde_fujigaya:20220130171525j:plain
f:id:lemonde_fujigaya:20220130171339j:plain
牛若丸                   源義経



鮎のとも釣り

f:id:lemonde_fujigaya:20210916142706j:plain

安倍川奥山のせせらぎ

 

鮎は、なわばりを持つ魚として知られていますが、その習性を利用して釣るのが友釣り。釣り上手な友だちに、手を取り、足をとって教えてもらい、やってみると、なかなか難しくて奥深く、論理的で、大変おもしろい。

西瓜のような香りと、よこはらに黄色い斑点がついていて、その姿は流麗で清々しく、まったく美しい。

一般的に、清流の女王といわれるゆえんだ。

 

鮎つりには、石川釣り(どぶつり)、餌釣り(シラスのエサ)、おち鮎などを狙うゴロ引きなど、いろいろありますが、友釣りは大きく育った、縄張りを持つ鮎しか釣れないため(群れを成してる鮎や単独行動のヤマメなどが釣れることもある)、石川釣りや餌釣りなどで釣れる小鮎は、まずかからない。

鮎は、年魚といわれ、秋には上流の奥山の清流から、だんだんと下り、川尻の浅瀬で産卵する。卵からかえった稚魚は、春まで海で育ち、およそ5、6センチ程の大きさになって、桜の咲く3,4月ごろ川に遡上してくる。6月1日(一般的に)が解禁日だから、2か月ほど、川苔をはんで(石に付いた苔を口でこすりとる)20センチくらいに育った鮎を釣りあげようというもの。大きく育てて取るという、カッコ良くいえば自然に優しい「循環型自然漁法」と言えるかもしれません。

 

鮎は、ヤマメやニジマス、ウグイなどと違って清流の魚の中では、引きが、けた違いに強い。おとり鮎は、掛かった野鮎に引きずられて、急流の大石、岩の間を上ったり、下ったり、白いお腹を見せながら泳いでいる。野鮎は決して弱い姿は見せない。竿を急いで立てて、こらえないと糸が切れて、吹き流しの浮きめにあう。引き寄せて、手前まできたと思ったら、また下流へのながれにのってむこう岸まで。こっちは胸躍らせ大石の間をつまずきそうになりながら、下がってまたさがって、まるで川辺での運動会・・。このやり取りのプロセスを無事かいくぐって、やっと手元に寄せて、タモの中に落とし込んだ時は、安どと嬉しさで足が、がくがく震える。こんな場合は釣れた魚も大きく20センチクラスの大物だったり。

 

そんな解禁日の昼下がり、釣りを終えて川から上がって、車の周りに、帰り支度のため集まった釣り人達の輪ができる。みんな満面、笑みを浮かべて、にこにこ、その日の釣果を話してくれる。沢山釣った人、大物を釣った人、がんばってもあまり成果があがらなかった人。

釣れなかった“釣りびと‘”ほど、逃がした魚の話は大きい。声が大きくてソプラノ、広げた両手の幅がだんだん広く大きくてなって、さすがに気づき、また、縮めたり。居合わせた釣り師のみなさん、気持ちは“経験的”に良くわかるし、笑顔で合わせながら聞き役にまわる。山奥のせせらぎを聴きながら、いい雰囲気。体はどっと疲れているが、心は晴ればれ。充電は十分にできたようです。みんな元気をもらいあってにこにこ。

 

友釣りは、釣りの中では最も難しい釣りと言われていますが、なぜそんな釣りをやるかと・・・。口に針がかかるのではなく、背掛かりの鮎は、引き方が半端ではなく、手元に引き寄せるまでのハラハラ、ドキドキは一度知った人にはやめられない。天然の鮎は、姿が綺麗なうえに香りが果物(スイカ)のよう。とっておきの、このにおいは、その魅力を際立たせている。

 

 

食べる楽しみの側に回っては、あら塩をふった炭火焼が旨いという。お茶を使って煮しめる甘露煮はお正月料理に向いている。酢の物も、刺身もおつまみに申しぶんない。

京都の料理屋さんでは、食通のお客様がお皿のうえで塩焼きの鮎の頭をおさえて、身のほうを箸でやんわりとほぐし、頭とともに背骨を抜き、きれいに残った身をたべる。品のある食べ方だとつくづく思う。食べるその仕草にも大変“味”があり、一つの食文化とも言えそうだ。

 

川釣りと、たかが釣りじゃあないかといえますが、新型コロナで自由に行動が出来ず、ストレスが充満している人たちにとっては、かけがえのない最高の気分転換の場だ。河原をたくさん歩くのも健康にはもってこいだ。僕の釣りは、昔ながらの流儀と手順を大切にしていることと、野鮎の“資源保護”の観点からも、ほどほどの釣果にしている。最近の進歩した超軽量のカーボンファイバー竿、0.02ミリ~のワイヤー水中糸、針を3~4本束ねたかけ針など、考えられないほど進化したこうした道具では、鮎さんもたまらない。農薬による水の環境悪化で川魚が激減しているという現実と合わせて、友釣りの先行きは明るいものとは、とても言えない。僕は、人間が、温暖化で地球に住めなくなってしまうのではないかと、危惧している問題と重ね合わせたおもいに見えてならない・・・。

自然をよく見、自然に親しみ、自然に溶け込んで、歩んできた少年時代からの生き方が、僕を支え続けている。                                              一年のシーズンを通し、のんびり、ゆったり釣りのできる“大自然”の河原であってほしいと、願わずにはいられません。大人も子供も、無邪気に、屈託なく大声をあげて、ワイワイと楽しく“一緒に”なって遊べる場であってほしいと思っています。

 

f:id:lemonde_fujigaya:20210916143301j:plain

安倍奥の清流の鮎